- 職場にいる苦手なあの人、気にしないようにしようとすればするほど気になって辛い。
- 嫌いな人のSNSが気になってついチェックしてしまう。時間の無駄だからやめたいのに…
どうしても嫌いな人、いちいち言動が気に障って仕方ない人って、誰でも一人や二人はいるもの。
ただ、無関心でいようとしているのになぜか意識がその人に強く向いてしまったり、どれだけ無視しても存在自体が気になって仕方ない状態になってしまうと、これってなかなかに苦しいし、日常的にも不都合が生じてきます。
「もっと穏やかな気持ちで過ごしたいのに…」
「嫌いな人に意識が引っ張られて、集中したいことに集中できない!」
本当は無関心でいたいのに、どうしても意識が嫌いな人に引っ張られてしまうのって、すごく不快だし、人生がもったいない!って思っちゃいますよね。
そんな悩みを抱えている人に向けて、今回はズバリ、嫌いな人やモノに無関心になる方法についてお話していきます。
うすうす気づいている人も多いと思いますが、嫌いな人って、無視しても避けてもそうそうすんなり心の中から消え去ってはくれないもの(笑)
もちろん、物理的に距離を取れるのであればそれに越したことはないのですが、職場だったりご近所だったりと、すぐにはそれが叶わない場合も多いですよね。
じゃあずっとその人の存在に心を乱され続けなくてはならないのかと言うと、けっしてそうではなく、単純に自分の意識の外側に出してしまえばいいだけのこと。
「でもそれがなかなかできなくて…私の意志力や集中力が弱いせいなのかな?」
そう悩む人にこそ、ぜひ知ってほしい内容になります♡
強い意志力を持ったり、鉄壁の無視を決め込んだりしなくても、嫌いな人と自分との間に意識の結界を張ることは簡単にできますし、何よりその結界を作ることによって、なんと今度は好きな人や欲しいものがどんどんとその中に入ってきてくれるようになります。
相手を攻撃するのでも無視するのでもなく、ただ無関心になってしまうこと。
これって実はものすごーく強力な対人スキルであると同時に、自分の人生を好きなものだらけに変えてしまう魔法でもあります。
「心から嫌いなあの人に頭の中をがっつり占領されてて、何とかしたい!」という人は、ぜひ参考にしてみてくださいね!
「無関心でいたいのに、嫌いな人が気になって仕方ない」はなぜ起こる?
- 嫌いな人に無関心でいたいのに、どうしても気になってしまう。
- 嫌いな人に思考を乱されて、集中するべきことに集中できない。
この状態に陥っている時って、嫌いな人を自分が意識してしまっていること、集中するべきことに集中できていないことが問題と考えがちなのですが、実はそうではありません。
そもそも誰かや何かに対する「嫌い」という感情は、それを感じる必要性があるからこそ脳が示してくれている大事な反応。
それを「反応してはダメ!」と禁止したところでその感情自体が消える訳ではなく、いわば感情を押さえ付けているだけなので、禁止すればするほど苦しくなっていくだけですし、また、「こっちに集中しなくちゃ!」と意志力で思考をコントロールしようとすることに関しても、それが問題なくできるのであれば、そもそも気にしたくないのに気にしてしまうという悩み自体が生まれていないはずです(笑)
つまりこうした悩みが起きるのは、自分が未熟だからとか、人間性が低いからとかそういう理由では一切ないということ。
じゃあ、嫌いな人に意識が奪われてしまう状態の意味って一体何なのか?
一言で言うとそれは、「見るべきところがわからない」という脳みそからのサインなんです♡
「え?ちょっと待って、見るべきところならわかってるよ!今やらなきゃいけないことや楽しみたいことに集中したいって思っているし、それができないから困っているんだけど…」
そう思う人も多いと思いますし、何なら私自身も以前はめちゃめちゃそう思っていました(笑)
これ、どういうことかと言うと、「嫌いな人」がA、「集中したいと思っていること」がBだとして、実はAもBも自分が本当に見たいと思っているものではないよ!ってことなんですよね。
「ここを見てはだめ」「ここを見なさい!」になっているから苦しくなっているだけで、本当に見たいところ(C地点)を教えてあげれば、あれこれ強制しなくても脳は吸い寄せられるようにそこを見るようになります。
要は、「集中したいと思っていること」の吸引力が「嫌いな人」に負けてしまってるんです。
でね、やるべきことよりも嫌な事の方に意識が向いてしまう自分を責める人はとても多いのですが、そもそもポジティブなものよりネガティブなものの方に意識が向きやすいのは、脳の仕様です。
これって現代社会に生きる私たちにとって必ずしも最適な仕様とは言い切れない部分もあるのですが、単純に生物の生存戦略として、危険なもの・自分の存在を脅かしたり利益を損なうような対象に対して強く意識が向くよう機能強化されてるんですね。
確かに考えてみれば、自分にとって望ましくないものに鈍感なのって、普通に危険だしかなり不便ですよね(笑)
ボーッとしてたらいつの間にかとんでもないトラブルに巻き込まれていた!とか、無自覚なままいつまでも劣悪な環境に自分を置き続けてしまうなんていう事態にもなりかねません。
それを踏まえた上で、ではどうすれば嫌いな人に無関心になることができるのか?
嫌いな人に無関心になる方法
その答えは、今手に入れたいと思っているもの、こうだったらいいのになという未来への願望の内容を「自分にとって妥協のない、より魅力度の高いもの」へと更新(格上げ)してあげること!
嫌いな人に強く関心が向いてしまう時、変えるべきは「自分」ではなく「対象の魅力度」
「集中したいことよりも嫌いな人の方に関心が強く向いてしまう」
この現象の意味するところって、「お前はネガティブで人のことばかり気にするダメな奴じゃー!」ということではなく、「もっと妥協なく欲しい現実を決めてくださいね!」「もっと上を望んじゃっていいですよ!」ってことなんです♡
逆に言うと、「今エネルギーを注ごうとしているその箇所、実はちょっとズレているかもよ?」という現象からの注意喚起でもあります。
これ、集中の比較対象が「嫌いな人」だから若干わかりづらかったりするのですが、対象を「ハマりすぎて困っていること」に置き換えて比較してみるとわかりやすいんじゃないかなと思います。
「本当は◯◯しなくちゃいけないんだけど…つい△△に夢中になってまたこんな時間になってしまった…!」
こういう経験って、きっとみんなありますよね(笑)
△△:油断するとつい夢中になって時間を費やしてしまうもの(e.g.漫画やドラマ、ゲーム、友達とのおしゃべり等)
こんな時、きっと多くの人は「もっと意志を強くして、漫画やゲームを控えなくては!」と思うし、そういうアプローチを取ると思います。
でもここが実は大きな誤解であり、葛藤の始まり。
もっと簡単で本質的な解決法を望むのであれば、「本当は△△にどっぷりはまっていたいけど、そこは抑えて◯◯しなくちゃ…」ではなく、
「△△くらい夢中になれるものに◯◯がなっているか?」
考えるべきはこっちだよ!ということ♡
「えええ、そんな無茶な!!!」
「いやいや、いくらなんでもそんなの無理でしょ…」
そう思った人、けっこう多いのではないでしょうか?
でもこれがまさに盲点であり、「集中できない問題」の根本にあるものなんです。
- 本当はやりたいけれど、我慢する。
- なかなか集中できないけど、自分にむち打ってどうにかこうにかやり遂げる。
私たちはこういった我慢や努力型のアプローチを子供の頃から繰り返し教え込まれますし、大人であればそれこそ「できなきゃダメなこと」だと通常は考えられています。
もちろんこれも使いどころさえ間違わなければとても便利なやり方だし、特に締め切りが迫っているタスクをこなす場合などには非常に威力を発揮してくれます。
けれど人生スパンといった長期視点に立って考えてみると、「かなり心もとないやり方だよな…」ということはおそらく多くの人が気づいているのではないでしょうか?
- 我慢に我慢を重ねてダイエットしたけれど、数カ月でリバウンドしてしまった。
- やっとの思いで昇進したけれど、プレッシャーの連続で毎日が苦しい。
- 起業してそれなりの売上も立つようになってきたけれど、疲労感でいっぱい。こんな状態でいつまで売上をキープできるか心配…
つまり、意志力というリソース自体がそもそも有限かつ脆弱なものであり、はたしてそんな意志力頼みで人生勝ち逃げできるのかというと、それはもうものすごーーーく怪しい訳です(笑)
このやり方のみで人生うまくいかせようとすると、それこそ強靭な意志力を持ったスーパーストイックな人でない限り、人生うまくいかないことになってしまいます。
でもほとんどの人はそうではないから、「やるべきことに集中できない」「それどころか、嫌いな人に意識が集中してしまっている(泣)」という悩みが出てくる訳です。
この悩みのループを抜けるためには、「集中するべきこと」に自分を無理に向かわせようとするのではなく、まずはその「集中するべきこと」の魅力度(意識の吸引力)を徹底的に上げてしまうこと。
ここが肝となります。
「うーん、でもそんなの可能なのかな…仕事にしろ自分磨きにしろ、何かを叶えようと思うと、ついついやりたいよりやらなきゃの方が大きくなっちゃう(汗)」
このトーク、実はすごく問題なようでいて、まったく問題がないのがわかるでしょうか?
そう、現時点でそう思えないのって当たり前なんですよね(笑)
なぜならその「どうしようもなく夢中になってしまう、本当に叶えたい、手に入れたい何か」が今はまだ知覚の内側にないからこそ、嫌いな人に意識を持っていかれてしまってるってことだからなんです。
「漫画やゲームより仕事や勉強、ダイエットやトレーニングが楽しいなんて無理じゃない?そんなのってありえるの?」
もしもある人がこう思っていたとして、確かにこれってその人にとって真実なんです。
というのも、今その人の世界(認識している範囲)の中には間違いなく「それ」が存在していないから(!)
けれど、「自分の真実=この世の真理」なのかといえば、必ずしもそんなことはなく、漫画やゲームより仕事や勉強、美容やダイエットに夢中になっている人は世の中に山ほどいます。
「でもそれはきっとその人たちが特別だから…」と大部分の人は思ってしまいがちですが、そうではなく、単に「自分が夢中になってしまう何か」が知覚の内側に入っているかいないか?その違いなんです。
この「何か」が知覚できた瞬間、自分の中の「当たり前」が変わる、つまり世界そのものが変わるし、「意識しないようにしなきゃ!」と思うまでもなく、気づけば「嫌いな人に無関心になってしまっている自分」がそこにいるはずです。
ひょっとすると、そんなことで悩んでいたことすらすっかり忘れているかもしれません(笑)
それくらい、意識の遥か彼方へと行ってしまうんです♡
なぜなら人間って、良くも悪くも一度に一つの世界しか認識できないから。
「本当に関心を向けたい何か」が見つかると、嫌いな人に関心が向かなくなる認知の仕組み
一人ひとりの世界って、実は重要度の差異によってできています。
私たちはけっして目の前にあるものすべてを等しく認識している訳ではなく、自分にとって重要なものにはより強く意識が向かい、そして重要でないものに関してはまるっと盲点(知覚の外側)に入れてしまうことで、その人その人の世界(結界)が作られています。
つまり世界(重要度の設定)が変わった瞬間、前の世界(嫌いな人が意識の中心にいた世界)を認識できなくなってしまうんですね。
なので、「そんなのある訳ない」と思っている時、
- それは「自分の世界」の中にないだけなのか?
- それとも自分の認知の範囲を超えて、本当にこの世にありえないことなのか?
そこが見分けられることって、現状(今の世界)を変える上でかなり重要になります。
人って思っている以上に自分の限られた知識の中で「あるない」「可能不可能」を判断してしまっているし、しかも一度「そんなのない」という前提が出来上がってしまうと、それを知覚の内側に入れるのって、非常に難しくなってしまうんですね。
この認知の限界を外して欲しいっていうのが、「気にしたくないのに嫌いな人を気にしてしまっている」時の脳みそからの依頼内容なんです。
「お願いだから、【本当に見たいと思っていること】を知覚して!そうじゃないと私、ネガティブばっかり見ちゃうんですけど…」って言ってきている訳です(笑)
じゃあ、今はまだ自分の世界(認識)の内側にない「思わず夢中になってしまう本当に欲しいもの」をどうすれば認識できるのか?
実はその鍵を握っているのが、「嫌い」なんです。
自分が本当に関心を向けたいと思っている「何か」を認識するには?
「自分にとって本当に魅力度の高い、夢中になってしまう何か」がなかなか見つからない理由
まず「自分にとって本当に魅力度の高い、夢中になってしまう何か」を見つけようとしてもなかなか見つからない理由の一つに、無意識に「具体的な何か」や「既存の何か」からそれを探そうとしてしまう私たちの思考癖があります。
たとえばやりたい仕事を探す際、職種や業種から探そうとしてみたり、やりたい趣味を探す時も、ピアノや英会話、ヨガといった、お稽古事の種類から探そうとしてみたり。
もちろんこれで運良くドンピシャのものに出会えたのであれば、それはそれでまったく問題はないのですが、多くの人は、やり始めてみたものの「なんか違うな」と感じてすぐにやめてしまったり、もしくは「なんとなく求めていたものと違う気はしてるんだけど…でも始めたからには頑張って続けなくちゃ」と半ば義務感で継続していたりという状態になりがち。
そしてここでもやはり「物事が続かない自分」や「すぐに興味を失ってしまう自分」を心のどこかで責めてしまっている人がとても多いんですよね。
でもこれも実は逆で、エネルギー注ごうとしている箇所がズレているから、「一瞬良いように思ったのだけれど、どうしても夢中になりきれない」になってしまってるだけなんです。
「そもそも自分が求めているものって何なのか?」そこがわからないまま、たまたま目についた「良さげなもの」に自分を無理に向かわせようとしてしまってるから、微妙な感じになっちゃってるだけなんですよ!(笑)
つまり、まずは自分の興味関心の核を知ってあげる必要があるよ!ということなんです♡
「具体」から興味関心の核を抽象化する
「何をやるか?」「何を手に入れるか?」という具体的な願いや目標の部分は一旦脇に置いて、「一体自分はどんなことに惹かれて、どんなことを楽しく思う人なんだろう?」っていうことを先に把握してあげるんですね。
言い換えるなら、自分の好きや夢中を「具体」から一度抽象化してしまうということ。
「具体」だけを見ていると、何が自分の好みや関心とズレているのか?そこがなかなかわかりづらいのですが、その「具体」に対して自分が感じている魅力の核をあらかじめ理解しておくことで、ズレの正体が即座にわかるし、ぐっと調整しやすくなるんです。
抽象化のやり方は簡単で、まずは日常で自分が感じる具体的な「好き」や「夢中」を頭の中でもノート上でも何でもかまわないので、できるだけたくさん挙げていきます。
そして、そのたくさんの「具体」を俯瞰してみると、それらの中にある自分の「好き」や「夢中」のポイント、つまり魅力の核心部分が次第に見えてくるようになるんですね。
そうやって、「自分が本当に求めているものって何なのか?」それを知った上で、そこからあらためて具体的に欲しいものややりたいことを探していく(抽象を具体化する)ようにすると、「思わず夢中になってしまう何か」がだんだんと知覚の内側に入ってくるようになります。
(このあたりについては、こちらの記事にくわしくまとめていますので、より深く知りたい方は参考にしてみてくださいね!)
これが最もベーシックなやり方になりますが、この応用技術として、より強力かつシャープに自分の「好み」や「夢中」をあぶり出す方法があって、それが、「嫌い」という感情から「本当に欲しいもの」を抽出することなんです♡
「心から嫌いな人」の存在が意味するものとは?
「心から嫌い」は情報の宝庫
「嫌い」という感情って、誰しも持っていて気持ちの良いものではないので、なるべく見ないよう、感じないようにと無意識に目をそらそうとしてしまうのですが、実はものすごい情報の宝庫で、なぜなら「心から嫌い」って、ひとつ抽象度を上げると「ものすごく重要視している」ってことだからなんですよね。
つまり、「どうしようもなく関心が向いてしまうくらいに心から嫌いな人」というのは、そこに自分にとって重要な何かがあるから心が激しく反応している存在なのだということ!
もっと言うなら、
- 自分は何に幸せを感じる人なのか?
- 本当に求めているものって何なのか?
- 自分が幸せを感じる上で絶対に外せない独自のこだわりポイントって何なのか?
それらを教えてくれている存在なんです。
ただこの情報の抽出の仕方に少しコツがあるので、簡単に解説していきますね!
「心から嫌いな人」から自分の幸せの核を抽出する方法
まずその「心から嫌いな人」って、
- 何か自分が困るようなことを実際にしてくる人なのか?
- それとも実害はないけれど、視界に入るだけ・一緒にいるだけでなぜかイライラする人なのか?
それによって情報の取り出し方が異なってきます。
嫌いな人の存在によって実際に自分に不都合が生じている場合
この場合、以下の問いによって「本当に求めているもの」が浮き上がってきます。
「その人がいることによって、何が手に入らない(どんな自分になれない)から嫌なのか?」
この答えが、相手に対して感じている嫌悪感の正体であり、自分が本当に欲しいと思っているもの、つまり魅力や夢中の核の部分になります。
たとえば、「教えてちゃんな同僚がめんどくさくて大嫌い」という場合、まずは具体的にどんな不都合が生じているのか?そこを抜き出してみます。
- 忙しい時に面倒な質問をされるのが嫌。
- 自分が楽をするために人の時間や労力を悪気なく奪おうとしてくるのがうざい。
- っていうか、私を何だと思っているのよー!!!便利屋じゃないのよ!!!!
などなど、これらはあくまで例になりますが、こうしたトークから何がわかるかと言うと、
- 自分のペースを乱されるのが嫌。
- 自分のリソースを軽々しく扱われるのが嫌。
- 何でもかんでも聞かれたり頼まれたり、便利屋扱いされるのが嫌。
「あ、要は自分って、こういう状態が嫌なんだな」とわかる訳です。
ここまでくればあとは簡単♡
その対極にあるのが、本当に欲しいものであり、なりたい自分ということになります。
- 何かに邪魔されることなく、自分のペースでやりたいことに好きなだけ没頭できること。
- 自分の時間や能力、存在に対して敬意を払ってもらえること。
- 広く浅くというより、深く狭くマニアックに物事を突き詰めること。
こういった「自分が幸せであるための独自のこだわりポイント」が見えてくる訳です。
でね、この導き出される答えって、その人その人によってまったく異なるし、なんなら180度違う答えが出てきたりもします。
誰かにとっての「快」が自分にとっては「まったくの無」や「不快」であることもあれば、その逆の場合もあるし、それで全然いいんですね♡
「教えてちゃんが嫌い!大の苦手!」という人もいれば、「人にあれこれ聞かれるの好き!なんか頼られてるって感じがして嬉しいし、かわいいなって思う♡」という人もいる訳で、ポイントは相手の存在が是か否かという視点で見るのではなく、自分の担当領域はどこなのか?それを知るってことなんです。
ここがわかると、「大人なんだし、嫌いな相手にもそれなりに親切にしなくては…」という謎の義務感からも、「くっそー!許せん!こんな奴は何としても正さなくては!!罰しなくては!」という怒りの感情の苦しさからもまるっと解放されることが可能になります。
たとえば、「あ、めんどくさいな、でも聞かれたから答えなきゃ…」という脳内トークが出てきた時、相手をわずらわしく思う自分を心のどこかで責めていたり、「嫌だけど対応しなきゃ」と何度も自分に無理や我慢をさせていたりすると、結果として「私にこんな思いをさせるこの人、嫌い(怒)」という反応が出てくるようになるのですが、「ここは自分の担当領域ではない」ということがわかっていると、罪悪感なく相手の要求をサクッとかわせるようになるし、そもそも合わない人が自分に近づいてこなくなるようになるんですね♡
この「罪悪感がなくなる」というのがポイントで、「大人だし or 友達だし or 職場内だし」といった何らかの役割意識から「嫌だけど対応しなきゃ」「答えてあげなきゃ悪いかな…」という思考が出てきている時、その人ってまさに「そのやりたくないことの担当者」に無意識になってしまってるんですよね。
担当者であることを無意識に受け入れてしまっているから、断ることに罪悪感を感じてしまっているし、やりたくないことや苦手な人が自分の世界の中にどんどんと入ってきてしまっているという構造。
要は、自分自身でそれを許可してしまってるんです。
そしてこれって裏を返すと、自分の本当の望みを認識させない強力なブレーキにもなっています。
「それを嫌だと思っていい、断っていい」と自分に許可していない状態なので、「嫌い」の対極にある「好き」を全力で望む(自分に許可する)ことができないんですね。
上記の例で言うなら、「対応してあげなきゃ悪いかな…」という罪悪感や義務感にあおられたトーク状態の時、「自分の時間や存在を尊重してもらう」「深く狭い領域にだけ没頭する」という本当の望み(自分の本音)を、人はなかなか認識することができません。
「どうすればなるべく話しかけられないようになるかな…」とか「どうすれば短時間で効率よく対応できるかな?」といった、妥協案や回避策的な願望ばかりが先に立ってしまって、むしろ望まない相手や状況に自分を最適化させようとしちゃうんですよね。
「〇〇がつらい」という悩みがある場合、
- どうすれば◯◯との接触頻度を減らせるか?
- どうすれば◯◯にもっとうまく対応できるか?
こうした方向での問題解決って、意外かもしれないのですが、実は単に苦手なものに自分を最適化させているだけなんです。
本願は別のところにあるのに、そこが見えないので、回避策や妥協案を必死に考えようとしてしまってるんですね。
もし本当の意味で現状を脱したいのであれば、やるべきは最適化ではなく、
「◯◯が嫌っていうことは…じゃあ自分は本当はどうしたいのだろう?」
ここを見抜いてあげる(認識してあげる)ことなんです♡
「ああ、自分は本当はこうしたかったんだ!」というのがわかると、そこで自分の世界の重要度設定に大変動が起きて、「心から嫌いな相手」の重要度は急降下していきます。
なぜなら、本当に知るべき情報が認識できたことで、その「心から嫌いな人」に必要以上に関心を向ける必要がなくなるからです。
「嫌い」に強く関心が向いていることに気づいたら、すかさずその対極を見てみること。
これが、「自分が本当に関心を向けたいと思っている何か(本当に見たい世界)」を意識化する上で非常に重要なコツのひとつになります。
実害はないけれど、なぜかイラッとする、嫌悪感をかき立てられる相手の場合
次に、
- 直接何かされるとか、自分に不都合が生じているという訳ではないのだけど、視界に入るだけでイライラする。
- 他の人はそうでもないみたいなのに、なぜか自分は心から嫌いと感じてしまう。
そういった相手の場合。
実はこれらの状態って、その人の中に「なりたい自分」や「なりたくない自分」を強烈に見ている時なんです。
ここで気をつけるべきポイントは、以下の2点。
- 「なりたい自分」と「なりたくない自分」そのどちらかだけというよりは、両方が混在している場合が圧倒的に多い。
- 「なりたい自分」といっても、けっして「その人そのもの」になりたい訳ではない。
よく、「誰かを嫌いと思うのは、その人に嫉妬しているから」ということが言われますが、これを聞いて、
「確かに思い当たるところがない訳じゃないけど…でもじゃあ自分も相手と同じになりたいかと言われると、そうじゃないし…うーん…」
と、なんだか痛いところを突かれたような、でもどこか腑に落ちないような、そんな複雑な気持ちになったことのある人は多いと思います。
でね、結局これも「嫌いな人」という「具体」だけを見ているから問題の焦点が捉えにくくなってるだけなんですよね。
「うらやましいような気もするけど、でも同じになるのはなんか嫌」
そう思っている時、
- その人のどういう部分を「うらやましい」と思っているのか?
- どういう部分を見て「同じになりたくない」と思うのか?
これらの要素を抽象化して抜き出す必要があるよ!ってことなんです。
嫌いな相手や現象を因数分解してあげるんですね。
もちろんこれって、すぐに答えがわかる場合もあれば、見抜くのに少し時間がかかる場合もあります。
だからこそ、その嫌いな相手をよーく観察する必要があるんです。
つまりそこが知りたいから、強く関心が向いているのだということ♡
「嫌いな人を気にしてばかりいる自分、なんかかっこ悪くてやだ」
「嫉妬してるなんて言われると、くやしくて余計に意識をそらしたくなる」
こういう気持ちが出てきて、「見たい/見たくない」の葛藤に陥ってしまう人ってとても多いと思うのですが、ズバリここは、とことん脳みそにガン見させてあげてください♡
単に「イラつく!」という気持ちのみで相手を観察していると確かにストレスが溜まるだけですが(笑)、「これを知りたい」としっかりアンテナを立てた上で関心を向けるのであれば、脳はちゃんと相手を精査し、いずれその答えを持ってきてくれます。
そしてその答えがわかると、前項のパターン同様、もうそれ以上その人に関心を向け続ける必要性が自分の中でなくなってしまうため、あとは放っておいても自然と相手に無関心になっていくんですね。
(このあたりについては、こちらの記事にくわしくまとめていますので、より深く知りたい方は参考にしてみてください)
嫌いな人には「無視」より「無関心」が圧倒的に有効かつ未来開花につながっていく
嫌いな人がいると、「関わりたくない!」という思いから、つい相手を避けてしまったり、また職場内などで物理的に離れられなかったりすると、仕方なく無視という手段を取ってしまう人も多いと思います。
でも本当に相手を遠ざけたい、関わりを薄くしたいと思うのであれば、無視ってまったく得策ではないんです。
と言ってもこれは、「無視したら相手が傷つくし、周りの空気も悪くなるからダメ!」という意味では全然なく、嫌いな相手を無視すると、その人との関係性を不必要に濃くしてしまう上に、「本当に欲しいもの」がめちゃめちゃ手に入りにくくなるからなんです。
これ、人の縁の仕組みを知る格好の学習材料でもあるのですが、そもそも人間関係って、一言で言うと「世界観の共有」なんですね。
ひとつの職場に集まる人たちが「職場」という世界を共有しているように、人って、それぞれの世界観がクロスするポイントで出会い、そこで何かしらの関係性を構築していきます。
そしてさらに言うなら、物理的に極めて近い場所にいたとしても、お互いの世界観の交わりがほぼない or とても浅い状態にある時、そこで生まれる関係性も非常に浅く薄いものとなります。
平たく言えば、お互いがお互いに無関心な状態であり、物理的には存在しているのだけれど、情報的には存在していないのと同じ状態になるんですね。
翻って考えてみると、嫌いな人を無視したり避けようとしている時って、自分の世界におけるその人の存在感ってものすごく強いし、さらにもし相手がそのことに気づこうものなら、今度は相手の世界の中での自分の存在感もグングン強くなってくることになります(笑)
つまり、嫌いな人やモノを自分の世界の中心に置いている限り、無視しようと避けようと、そこに濃い関係性が生まれてしまうんですね。
ここで重要なのは、結局のところ、どういう世界観を持っているかによって、関わる人やモノがまったく異なってくるのだということ!
言い換えるなら、世界を共有することができなくなれば、その時点で相手との関係は終わるってことなんです。
逆にもし「こういう人やモノに囲まれたい!」という望みがあるのであれば、自分の世界観を設定し直すことで、それらに自分の世界の中に入ってきてもらうこともできるのだということ。
世界観によって、人やモノの出入りがコントロールできるってこと!?
…でも世界観って結局何?どうコントロールすればいいの?
そう、実はアプローチするべきは「世界観」で、「相手」や「問題」ではないんです♡
無視不要!嫌いな人を自分の世界から消す方法
私もこのことに気づく前は嫌いな人を必死で避けたり無視したりと、あれこれ頑張っていて、それでもなお日々振り回されてしまう自分にすごく悩んでいたのですが、向き合うべきはそこじゃなかったんです(笑)
まずそもそも世界観って何なのか?
一般的には、ある統一的観点からする世界の全体把握をいう。
辞書的な解説そのまんまだとちょっとイメージがつかみにくいので、簡単に言うと、「どう世界を見ているか?」それが世界観ということになります。
でね、映画や小説の中の「世界」の場合、その世界観を創っているのは作者であり、見ている人は傍観者ということになるのですが、実生活においては、私たちって自分の世界の「作者」兼「傍観者」であると同時に、「登場人物」でもあるんですよね。
なので、実生活における世界観とは、「どういう自分として、どう世界を見ているのか?」この定義になってきます。
では世界観を変えるにはどうすればいいのか?
それにはまず現在地を確認するという意味で、「今自分はどういう自分として、どう世界を見ているのか?」ここを一度がっつりと意識化してみる必要があります。
たとえば「嫌いな人が気になって仕方ない」という状態の時の自分の世界観を意識化してみると、
- まさに「うっとおしい!」と思っている相手の「お世話係」を無意識にやってしまっていたり。
- 怒りっぽい友達や上司の「機嫌を取ってあげる係」になぜかなってしまっていたり。
- 口うるさい先輩や親の「言うことを聞いてあげる係」になっていたり。
こういった自分を含めた登場人物それぞれの配役と、そこである意味お約束的に行われている展開が浮上してきます。
つまり、
- 「嫌だと思っている役割」や「嫌いな相手」を、実は自らが許可してしまっていたこと。
- なぜかその嫌なことを「やらなければいけない」「やって当然」というルール(世界)の中で生きてしまっていたこと。
それらにどこまで本気で気づけるか?そこが変更のスタートラインなんですね。
その上で、
「じゃあ自分は本当はどうしたいのか(どういう自分でありたいのか)?」
言い換えるなら、
「どういう自分として、どういう世界にいたいのか?」
そこを見出し、そしてそれを採用すること。
それが世界観の変更なんです。
そしてこの本当に観たい世界(C地点)がわかった時、見たくないと思っていた嫌いな相手(A地点)も、集中しなくちゃ!と必死になっていたダミーの願い(B地点)もまとめて関心の外に消えていくことになります。
少し違う表現をするなら、
- どういう世界を共有することで、その嫌いな相手との関係性が築かれていたのか?
- その世界の中で、自分はどんな役割をやってしまっていたのか?
ここに気づいて、それをちゃんと自分好みに修正してあげるってことなんですね。
「本当はこういう自分として、こういう世界を生きたい」
この新しい世界観を採用した瞬間、もうその嫌いな相手とは世界が共有できなくなるし、さらに、関わるべき別の相手との縁が新たに発生し始めることになります。
つまり「本当に観たい世界」というのは、望まない相手への結界であると同時に、欲しい人やモノを召喚する魔法陣的な働きもしてくれるってことなんです。
(世界観と人の縁の仕組みについては、こちらの記事でよりくわしく解説しています)
まとめ
嫌いな人に関心を奪われて苦しくなっている時、多くの人は、とにかく相手を視界に入れないように頑張ってみたり、他のことに集中して意識をそらせようと努めてみたりします。
ですがこれらはどちらも対症療法に過ぎず、根本的な解決策にはなりません。
なぜならこの問題の本質は、
- 現在の世界観にもう飽きている。
- ステージを変えたい。
という、自分の内側からの要求にあるからです♡
人の縁(関係性)は、そこに「共有する世界観」があるからこそ、成り立っています。
自分と相手の間に対立関係や競争関係が成立しているというのは、そもそも同じ世界の中に自分と相手が存在していないと起こり得ないこと。
そして、その関係性を自分が心地よく思えていないということは、ズバリ、「今いるステージを変えたい」という自分の本音がそこに隠されているからなんです。
つまり、嫌いな相手に対して「避けたい、無視したい」と思っている時というのは、「そもそも相手が近寄ることすらできない自分になりたい」というのが本願なのだということ♡
また「勝ちたい!ギャフンと言わせたい!」と思っている時、実は本当に望んでいるのは相手に勝つことではなく、「相手がライバル視することすらできない自分になりたい」というのがおそらく本願ということになります。
どんな「嫌い」や「悩み」にも、そこには必ず「なりたい自分」が存在しています。
そしてその時に本当に向き合うべきは、相手でも問題でもなく、
「今自分はどんな世界の中にいるのか?」
ここなんです。
- 嫌いな相手を避けたい、無視したい。
- 嫌いな相手に勝ちたい、負かしたい。
そう思っている時は、相手と世界を共有してしまっている時。
世界を共有することができなくなれば、その時点で相手との関係は終わり、その人は自分の世界から消え去ります。
「どうしようもなく気になる、心から嫌いな人」というのは、
- 今自分はどういう世界を採用しているのか?
- 本当はどんなステージに行くことを望んでいるのか?
まさにそれを知るための貴重な情報源。
ぜひ、まずはじっくりと関心を向けて観察することで、ステージアップのお手伝いをしてもらってくださいね!
無理に嫌いな相手から意識をそらせようとせずとも、「行くべきステージ」が見えた時、その人は役目を終えて関心の外側へと静かに消え去っていってくれます。
この記事が、必要な誰かの参考になればうれしいです。
では♡