- なんとなく話が噛み合わず、一緒にいてもつまらない。
- 相手に悪気はないのはわかるのだけど、どうしても言動にいらついてしまう。
- 気にする場所が違いすぎて、一緒に仕事がやりづらい。
- 二人きりになると何を話していいのかわからず、気まずい空気になる。
- 笑いのツボが違いすぎて、嫌悪感すら湧いてきた(笑)
「波長が合わない」って、誰かに思うのも思われるのもなかなかにつらいし疲れますよね。
ましてそれが職場やご近所、家族といったコミュニティ内の相手だと、どうしても相手の存在をまともにくらってしまって憂鬱の種になっている人も多いと思います。
今回は「波長が合わないって一体何なのか?」そのスピリチュアルな意味と、波長が合わない人への対処法についてお話していきます。
単なるコミュニケーション術に留まらない、自分の人生からあらゆる重さを取り除いてご機嫌に生きていく秘訣になりますので、「毎日をもっと爽快に生きたい!」という人はぜひ参考にしてみてくださいね!
「波長が合わない」って、どういうこと?
まずそもそも「波長が合わない」って、一体何なのか?
これ、一言で言ってしまうと「お互いの場が合わない」ってことなんです。
「場」っていうのは、言い換えるなら世界観。
お店を例に考えてみるとわかりやすいと思うのですが、飲食店にしろインテリアショップにしろ、お店ごとに大切にしているコンセプトや雰囲気があり、またちょっとした暗黙の了解というか、明文化されていないルールのようなものもあって、そしてメインの顧客層もだいたい決まっていますよね。
たとえば同じカフェであっても、そこに集まるお客さんの層というか色には必ず違いがあります(こうした「色」や「コンセプト」「専門領域」はあらかじめ設計して作られたものである場合もあるし、成り行き上そうなったという場合もあります)
なのでまず知ってほしいのは、誰でも(たとえどんなに人当たりが良く優しく賢い人であったとしても)「波長が合わない人」は必ず存在するし、生きている限りほぼほぼ確実に誰もが「合わない相手」に遭遇するのだということ(笑)
つまり「波長が合わない人」はいていい、というかいて当然で、たとえ誰かを「苦手」「うざい」と思ったからって、決してあなたはひどい人ではないし、逆に誰かから「合わない態度」を見せられたとしても、それによって「こんなに気を使ってるのに…もうこれ以上何を直せばいいいんだろう?(泣)」と鬼の反省モードに突入したりしなくていいってことなんです♡

うーん、でも誰とでもソツなくやれてる友達や同僚を見ると、なんだか自分がすごく不器用で器の小さい人間に思えて、どうしても劣等感を感じてしまうのよね…どうしたらあんな風になれるんだろう?
うん、そうですよね、めっちゃわかります(笑)
問題ないって頭でわかっていても、「…とはいえ消えないこの違和感をどうすれば?」ってなりますよね。
- 自分はただ気持ちよく毎日を過ごしたい。
- なのに合わない人が近くにいることで気持ちを乱されてしまう(相手の存在をまともにくらってしまう)
要はこれって「合わないもの」があること自体が問題なのではなく、「波長が合わない」と誰かや何かに感じた時の自分の反応がどうあるか?という問題なんです。
ちなみにこれは、「合わない人がいても気にするな!」「自分に集中しろ!」という根性論とはまったく別の話になります(というか、それが簡単にできるなら誰も苦労しないはず・笑)
そうじゃなくて、「あ、今自分は合わない人に対する重要度が高くなってるっぽいな」とまずは認識してしまうこと、ここがポイント。
つまりこの問題の本質って、「波長が合わない人とどう付き合うか?/どう縁切りするか?」という部分にあるのではなく、「どうして自分はその人への重要度を上げてしまっているのか?」という部分にあるんです(逆に言うと、その本質部分への答えが出た段階で、なぜか相手とうまく付き合えるようになったり、自然と疎遠になるといった現象が起こるようになってきます)
- 波長が合わない人に気持ちを乱される。
- 気にしたくないのに気にしてしまう。
これらの現象は、「気合で重要度を下げようとするのではなく、その原因を見破る必要があるよ!ここに宝の鍵が隠されてるよ!」という一種のスピリチュアルサインなんですね。


波長が合わない人の重要度が高くなってしまうスピリチュアルな理由
合わない場所にいると合わない人への重要度が高まる
ではどうして波長が合わない相手への重要度が高くなってしまうのか?
その大枠の理由自体はとてもシンプルで、それは、自分の「こうしたい」が定まってない(認識できていない)から。

えっ、そうなの??でも私の場合、自分と相手のこうしたいがぶつかり合って険悪になったりすることも割とあるのだけど…
うん、そう思いますよね(というか私も最初にこの概念を知った時、同じことを思いました・笑)
ですがそれっておそらく、誰かの「こうしたい」「こうしてほしい」の枠内で起こっている反応としての「こうしたい」である可能性が大なのではないかなと思います。
たとえば、そもそもやりたくないことをやっている時の「こうしたい」って、それが自分の本当のwant toなのかと言ったら、かなり微妙だと思うんですよね。
つまり、今まさに自分が立ち回っているその世界って、自分が「こうしたい」と決めた世界なのかどうか?そこを見てみて!ということ♡
「誰かが決めた世界の中で自分を押し殺しつつ立ち回る自分になっていないか?」そこに気づく必要があるよ!ってことなんですね。

えっ、そりゃあもちろん職場なら職場の方針とかあるし、それって当たり前のことじゃない?
…そう、気づくべきはまさにこの自分の内部トーク♡
- 自分の世界のコンセプトを決めていたのは自分じゃなかった。
- 他者に自分の世界を支配させてしまっていた。
ここに気づけること、実はこれこそがとてつもなく価値ある第一歩なんです(残念ながら、ここに気づかないまま一生を終えてしまう人は大勢います)
- どうして波長の合わない相手と折り合わなくてはならないと思っていたのか?
- どうして自分の「こうしたい」を抑えなくてはならないと思っていたのか?
「合わない相手と折り合うこと」
「自分のこうしたいを抑えること」
これらを「大人として当然身につけているべき基本的能力」と捉えている人も多いと思うのですが、どうしてこれらがそんなにも「当然のこと」と思われているのかと言うと、世の中の多くの人は「誰かが作った世界の中で生きていくこと」を自分の世界の前提にしているからなんですね。
「ん?じゃあそもそも組織に所属して生きること自体がアウトってこと?」一瞬そう思う人もいるかもしれません。
ですがこれって仕事の形態や働き方自体がどうこうという意味合いではなくて、単純に自分の意識の状態として「自分の上に職場を置いてしまっていないか?」そこを見てほしいんです♡
居場所や環境を自分の上に置いていることに気づく
もちろんこれは職場に限っての話ではなく、
「波長が合わない人との関係性に悩んでいるあらゆる領域」において自分の意識状態がどうなっているのか?
ぜひ確認してみてください。
- 家庭を自分の上に置いてしまっていないか?
- 恋愛や結婚を自分の上に置いてしまっていないか?
- 仲良しグループを自分の上に置いてしまっていないか?
- ご近所付き合いを自分の上に置いてしまっていないか?
そして、「あ、私、自分の上にこれを置いていたな」ってもし気づいたら、そもそもどうしてその「場」を選んだのか?そこを考えてみてほしいんですね。
参考までに、過去の私が出した答えは何だったかを明かすと…ズバリ「たまたま」だったんです(爆)
- 生まれた時、たまたま自分の両親という家庭があって、
- たまたま住んでいた地域の学校に入学して、
- そこでたまたま出会った友達と友情を育んで、
- 自分の学力的にちょうど良さそうな高校大学になんとなく進学して、
- あまり大変そうじゃなく、かつお給料と待遇がまあまあ良さそうな会社になんとなく就職して。
今改めて書いてみても笑っちゃうくらいにたまたま出会った場所の中でたまたま出会った人となんとなーく付き合ってきたんですよね。
もちろん、そこに自分の好みや意見はまったくなかったかと言えばそんなことはなく、その時その時自分の最も好きなものを自分の意思で選択していた訳なのですが、妥協感や無理やり感がゼロだったかと言えば、やっぱりそうではなくて。
それはなぜかと言えば、一度も自分で「場」を選択したことがなかったから。
与えられた「場」の中で何かを選択するということはやっていたのですが、そもそもの「場」を自分が決めるという立ち位置を取ったことがないというか、むしろ意識したことすらなかったんです!
なんだかわからないけど気づいたら、
- 「この中でみんなと仲良くやってね。合わない子がいても我慢だよ」という誰かが作った「場」がそこにあって、
- 「この中から自分に合うものを選んでね」という誰かが用意してくれた「選択肢」がそこにあって。
「与えられた場の中で極力上手に立ち回る」「与えられた選択肢の中から最善を選ぶ」ことには日々懸命に取り組んでいたものの、驚くことに、その構造(意識の主従関係)自体には1ミリも疑問を持ったことがなかったんです。
つまりこの意識状態こそが、自分の上に居場所や環境を置いてしまっている状態。
無意識かつ完全に他者が設定した「場」の支配下に入っていたという…(笑)
ただ私は最初、この意識の主従関係をひっくり返すのがとても怖くて、なかなかできませんでした。
というのも、
- 「先生に反抗する不良生徒」や「上司や先輩の言うことはガン無視で好き勝手やる問題社員」のようになってしまうのでは?
- 周囲を敵に回してまで自分の意志を貫くとか無理…
といった不安が強くあったから。
きっと現時点で、同じように思っている人は多いのではないでしょうか?
ではここからどうやってその不安や躊躇を解消したのか?
続いて解説していきますね!
波長が合わない人との上手な付き合い方
人間関係で摩擦や対立が起こる本当の原因
ここ、「場」の概念や波長が合わない人との付き合い方を攻略する上でけっこう重要な部分になるのですが、実は「対立」や「反抗」って、両者が同じ意識の場の中にいる時にしか起こり得ない現象なんです。
私は初めてこれをメンターに教わった時、本当に頭から「ボンッ!」って音がしたんじゃないかと思うくらいの大衝撃で、それまで解けなかった謎の数々が一気に解明されていったのを覚えています。
結局のところ、同じ前提(世界)を採用してしまっているから、そこに「良い悪い」や「勝ち負け」が発生しちゃっている訳で、本当の意味でその対立状態から抜け出すには、まずその世界が何なのかを見破って、そしてそこから抜ける必要があるよってことだったんです。
言い換えるなら、相手と同じ水平面上にいるのをやめること♡
「???」となっている人もいるかもなので、もう少し噛み砕いて説明してみますね!
たとえば、国同士の戦争や企業同士のシェア争いを想像してみてほしいのですが、簡単に言ってしまうとこれらって、あるひとつの利権を複数が取り合うことによって起きているんですよね。
この領土が欲しい!と思うことで国同士の争いが起きて、このサービスの顧客をなるべく多く獲得したい!と思うことで企業同士のシェア争いが起きるといった構造になっています。
この時の両者って、敵対しながらも実は「同じ世界を共有し、そして同じものを欲しがっている」という、ある意味とても濃い(お互いの重要度が高い)関係性なんですね。
一方、その世界の外側にいる人たちを眺めてみると、
- 国同士が争うことで、戦争関連産業はしれっと莫大な利益を上げるし、
- ライバル企業同士が熾烈な競争を繰り広げることで、顧客はサービスの向上という大きな恩恵にあずかることができます。
つまり、あるひとつの事象に関わる人たちの中でも、同じ水平面上にいる人たちの間でのみ対立や摩擦が起きているんですよね。
「合わない人との付き合いがつらい、疲れる」という悩みのスピリチュアルな意味と解決法
なのでもし自分自身、合わない誰かに対する嫌悪感や敵対意識が強くなってるな…と感じた時は、「自分は今どの水平面上にいるのか?」そこを速やかに見破ることで、その対立関係の攻略法がわかるんです(ここが見えないと、相手に勝つという解決法しかどうしても見えてこないため、お互いかなり疲弊することになります)
「今いる水平面上から抜け出ること」
これこそが、「合わない人との付き合いがつらい、疲れる」という悩みの根本的な解決策であり、重要なスピリチュアルメッセージなんです♡
逆に言うと、合わない者同士のトラブルって、本来なら対立関係になるはずのない(持っている場の違う)二者が、なぜかある世界を共有してしまっているために、意図せず対立関係に陥ってしまっているだけなんですよね。
そもそも同じ水平面上にいるということは、共通して持っている何らかの価値観があるということでもあるため、本来であればそこにいる人たちって、それなりに波長が合う相手であるはず。
現に、「元々はライバル同士だったけど、後々大親友になった」「ライバルであると同時に、尊敬する相手でもある」というパターンも世の中的には多かったりします。
なのになぜ自分は、
- 合わない相手と対立関係になってしまっているんだろう?
- 合わない人たちとの付き合いにこんなにも疲れを感じているんだろう??
そこに実は強くハテナを感じるべきなんです♡
・波長が合わない相手に対して「苦手」「嫌い」と思うこと。
←これ自体は別におかしいことでも何でもないのですが、
・合わない相手との付き合いに自分が苦痛や疲れを感じていること。
←これって一見当たり前のようでいて、「場」の概念からすると実は「めちゃめちゃ不自然なこと」なんですよね。
ここまで読んできて、勘のいい人は「あ、そういうことか…」とピンと来たのではないでしょうか?
そう、本来持っている「場」の違う者同士がなぜか同じ「場」を採用してしまっていること、これが問題の本当の原因!
「自分は本当はどんな場(世界)を採用したいのか?」
ここを無視して、誰かが作った場の中でそれぞれが「本質からズレた自分」として無理に関係性を築いてしまっているから、なんだかおかしな出方や距離感になっちゃってるんですね。
- 今いる「場」が何なのかを見抜く。
- 自分は本当はどんな「場(世界)」で生きたいのかを決める。
この二つの問いへの答えが出ると、波長が合わない人の存在に自分が「やられてしまう」ことがまずなくなります。
簡単に言うと、自分の世界の中でのその人の存在が著しく小さくなるということ♡
いても気にならないし、やがて気づくと本当に目の前からいなくなっていたりします。
自分本来の「場(世界)」を取り戻すと、合わない人は自然と離れていく
これは決してオカルトなことでもなんでもなく、人はそれぞれの「場(世界)」の交わりが薄くなるとお互いに関心を持つことがどうしても難しくなっていくし、またそこからさらにお互いの「場」が大きく乖離していくと、関係性を維持すること自体ができなくなるため、精神的にも物理的にも離れる、つまり別れが訪れるという仕組みになっているからです。
(人の別れの仕組みについては、こちらの記事でくわしく解説しています)
要は、自分がいるべき世界をまず見定めて、そこに自分の立ち位置を取ることさえできてしまえば、「波長が合わない相手とどう付き合えばいいのだろう?」「どうすれば関わらないで済むのだろう?」ということをあれこれ考える必要すらなく、後付けでそれぞれが収まるべきところに収まっていく(合わない人は自然と離れていく)んですね。
でね、「いるべき世界を見定めて、そこに移行する」という言葉を見ると、いかにも転職や引っ越しを強烈におすすめされているような気持ちになる人もいるかもしれませんが、私は基本的に「いきなり会社を辞めたり合わない誰かと縁切りする」といったことはあまりおすすめしていません。
なぜなら肝心なのは「意識の場(世界観)を変えること」であって、そこが変わらないまま物理の部分だけをいじっても「相手や場所を変えて同じパターンを繰り返す」という現状ループに陥ってしまうことがとても多いからです。


特に、
- 何回転職しても、満足のいく職場になかなか巡り会えない。
- どこに行っても必ず嫌な人がいる。
- 同じような失恋パターンが続いている。
という人は、ぜひ転職や縁切りの前に「世界観のお引越し」をしてみてください♡
「これってもう、何かの呪いなのでは???」「私ってどうあがいてもこういう運命なの??」と思っていた望まないパターンが、いともあっさり止まります。


「え?こんなことで良かったの??」「今までの苦労は一体何だったんだろう…」とその威力にきっと驚くはずです(笑)
自分本来の「場(世界観)」を見極める方法
では肝心の「自分本来の場(世界)」ってどう見定めればいいいのか?
それは簡単に言ってしまうと、
- 私はどういうお店を作りたい?
- どういうお客さんをその中にお迎えしたい?
ここを決めてしまえばいいんです♡
超簡単!自分本来の場(世界)を見極める秘密技
私もそうだったのですが、いきなり「欲しい世界を決めて!」と言われても、あまりに漠然としていてちょっと面食らいますよね(笑)
なのでまずは「お店」に置き換えて考えてみるんです。
カフェでもホテルでもアミューズメントパークでも何でもいいので、自分が「これ最高!むしろこの中に住みたい♡」と思うようなお店(世界)を自分の脳内で完成させてしまえばOK。
ただひとつ注意点があって、「世間的にはやっぱり◯◯ホテルが最高とされてるから、そこに住めたら最高かなあ」といった答えの出し方だとまたそれはちょっと違うというか、「世間一般的な評価」という誰かが作った「場(世界観)」の中で思考する立ち位置からまったく抜け出せてないんですね。
基準にするのはあくまで「自分自身の好み」で決して「他者の好み」ではないので、ここは気をつけてくださいね!
具体(現実の人間関係)と抽象(世界観)の支配関係を知る
でね、もしかするとこの時点で、
- どうして理想のお店を決めると自分本来の場がわかるの?
- 本当にこんなことで現実が変わるの?
という疑問が湧いてきている人もいるかもなので補足説明をしておくと、この理想のお店作りって、単なる思考遊びのようでいて実は「情報の抽象化」をものすごーく効率的にしてくれる割ととんでもない方法なんです♡
抽象っていうのは、簡単に言うと情報のエッセンス部分のことであり、お店でいえばその「コンセプト」にあたる部分になります。
- どこにお店を建てるか?
- どんな内装外装にするか?
- どんな商品やサービスを提供するか?
- どんなスタッフを雇って、どんな接客をするか?
こうした「具体的プラン」はすべてその上位情報である「コンセプト」を元に決定され、そして実行されていくという位置付けになっています。
もちろんこれは何も店舗経営に限った話ではなく、シンプルに言ってしまうと、実はこの現実世界というのはすべて抽象が具体を支配する構造になってるんです。
たとえば、私たちが普段取っている行動。
- 何を話してどんな振る舞いをするのか?
- どこに自分の居場所を置くのか?
- 誰とどんな付き合い方をするのか?
これらすべての行動判断って、その時その時の状況に応じて個別に下しているようでいて、実は自分自身の在り方(セルフイメージ)という上位情報によって支配された単なる「結果」であり、言い換えるなら自動反応。
「私」という在り方(抽象)に基づいて行動(具体)が決定してるんですね。
望む世界がわかれば、望む人間関係はオートで具現化する
さらに言うなら、「在り方(セルフイメージ)」というのは、その人が持っている世界観と表裏一体の情報になります。
これ、初めて聞いた人は少し驚くかもなのですが、本来セルフイメージって、それ単体では絶対に成立し得ない情報なんです。
なぜなら私たちの脳は、世界との関わりの中で「自己」を認識するようにできているから。
よくよく考えれば当たり前のことなのですが、もし世界がなかったら私たちは「自分はどんな存在なのか?」それがさっぱりわからないんですね(笑)
たとえば「私は愛される存在だ」という言葉ひとつにしても、
- それって誰にどう扱われることなのか?
- どういう状態の時に自分は愛されていると認識するのか?
それが決まっていなければ、その言葉が自分のセルフイメージになることは決してありません。
世界観が伴っていなければ、脳にとってそれはただの文字列でしかない訳です。
つまり、「愛される世界」が未設定のままいくら「私は愛される存在です」と唱えまくったとしても、自分の行動はもちろん、人間関係が変化することはないのだということ。


逆に言えば、自分にとっての「愛される世界」を見極めてしまえば、「愛される私」という在り方(セルフイメージ)もそこで同時発生するため、愛される人間関係がオートで具現化するという構造になってるんですね。



えっ、本当はそんな簡単なことなのに、多くの人が望む人間関係をなかなか具現化できないのはどうしてなの?
それは、抽象化のやり方(現実の元となる上位情報の設定の仕方)を知っている人がまだとても少ないから。
もっと言うと、多くの人が自分自身の好みをよくわかっていないからなんです。
目の前の何かに対してこれが好き、これが嫌ということは認識できるものの、
- 自分が本質的に求めているものって何なのか?
- 自分が本当に欲しい世界ってどんなものなのか?
- 本当に望む在り方(セルフイメージ)って何なのか?
そこをつかめている人って本当に少ないし、だからこそ「波長が合わない人に対してどういう自分として接すればいいのか?」そこがわからなくなってしまうんです。
抽象化によって違和感の正体を突き止める
でね、自分の好みという抽象情報をどうやって割り出すかというと、基本的な方法としては「具体」を元に抽出していくことになります。
自分の好きなモノやコト、そして嫌いなモノやコトを大量に挙げていくことによって、それらに共通する「何か」をあぶり出していく(下位情報を上位情報に転換していく)んですね。
この方法は文字通り効果絶大で、それだけに日常的に実践している人もかなり多い定番かつ王道のやり方になります。
一方、こうした書く系のワークが苦手!面倒で長続きした試しがない!という人も当然多いですよね(私も昔は苦手でした・笑)
そういう人にこそおすすめなのが、情報を言語で処理するのではなく、イメージをイメージのまま情報処理してしまうこと。
つまり、イメージの置き換えによる抽象化なんです。
「ある対象に対して、自分が何を感じているのか?」
それを他のイメージに置き換えてみることで、より深く詳細にその本体を把握してしまうというアプローチになります。
わかりやすいところで言うと、「オーラが見える」という表現。
厳密に言うとオーラを見る能力って、決して限られた人にのみ与えられた特別な能力という訳ではなく、本当はみんなに見えてるんですよね。
- ブルーな気分
- ブラックなイメージ
- バラ色の人生
- 暗い雰囲気
- キラキラした思い出
などなど、こうした言葉が一般的に使われているのが何よりの証拠で、実際にビジュアルとして見えているかどうかは別として、物体や状況を他のイメージ(色や明度など)に置き換えて認識するという情報処理作業は誰もがごく日常的にやっていることであり、これを「世間一般的な意味合い」からもう一歩踏み込んで、「自分がそこに何を見ているのか?何を感じているのか?」それを知るために使ってみるんです。
なのでこれは「理想のお店作り」の予備ワークというか、ちょっとしたゲーム感覚で取り組んでみるといいと思うのですが、「日常で関わるあれこれを他のモノに置き換えて認識してみる」という抽象化訓練をやっていくと、普段自分が誰かや何かに対して覚える違和感の正体がみるみるつかめるようになってきます。
- なんか嫌。
- なんかムカつく。
- なんか合わない。
こうした違和感の本当の理由が、それこそ手に取るようにわかってくるんですね。
自分自身の「らしさ」がわかると、複雑だった問題がシンプル化する
- 今の職場をお店に例えるとどんな感じ?
- 苦手な上司をお店に例えるとどんな感じ?
- 「自分らしくないな」と感じる時の自分って、お店に例えるとどんな感じ?
- 「自分らしいな」と感じる時の自分って、お店に例えるとどんな感じ?
お店でイメージするのが難しければ、国でも都市でも漫画のキャラクターでも、とにかく自分が置き換えやすいものなら何でもOK。
さらに発展系として、自分の苦手なシチュエーションや好きなシチュエーション、そして行動や発言などもどんどんイメージによって象徴化していきます。
この「象徴化」というのがポイントで、象徴って、まさに具体が抽象化された上位情報にあたるもの。
そう、こんな感じで、あっという間に具体が抽象化されちゃうんです(笑)
象徴がどれだけ重要なものなのか?
それはブランドを見れば一目瞭然で、高級ブランドはもちろんのこと、たとえば漫画雑誌の少年ジャンプだって、ジャンプ自体がひとつの象徴であり、そのジャンプブランドにふさわしい作品のみがその誌面を飾ることができます。
そして「やっぱちょっとジャンプらしくないな」「ジャンプクオリティに達していないかも?」と判断された作品は短期間で誌面から消えてくことになりますが、それはジャンプという基準(世界観)がそこにあるからで、その世界観にマッチするかどうか?そこが分かれ目になるんですね。
逆にもしも、
- ジャンプの中に「いかにもジャンプらしくない」作品ばかりが掲載されていたら?
- シャネルの陳列棚に「いかにもシャネルらしくない」商品が並べられていたら?
そのブランド価値は大きく傷つき、関係者にとってはそれこそ「望ましくない現実」が展開していくことになります。
- 自分自身の「らしさ」を理解しておくこと。
- その「らしさ」を大切にした行動を取ること。
これが自分の「場(世界観)」を心地よい状態に保つために非常に重要なことであり、物事を複雑化させずシンプルに解決してしまう魔法なんです♡
波長が合わない人との付き合い方に悩んだ時、多くの人はどうしても「何を言えば?」「何をすれば?」ということを考えがちなのですが、そういった「具体」のライン上で対処法を探している限り、それらはすべて一時しのぎの解決策にしかならないんですね。
見るべきはもっと大本の部分。
つまり自分自身の「らしさ」がわかっていれば、「何を言うか?」「何をするか?」は自ずとわかってくるんです♡
「違和感」は「自分本来の場とのズレ」を示す重要なスピリチュアルサイン
ちなみに、この象徴化によって自分の「らしさ(自分本来の世界観)」を抽出していく際、ひとつ大切なコツがあって、それは「一切の遠慮を取っ払って象徴化していく」ということ♡
たとえば、「この人のこういうところ、なんか安っぽいっていうか、人として薄っぺらい感じで嫌なんだよな…」とふと思ったとして、人によっては、
- あ、こんなこと思うなんて、私ってひどい性格だな…ごめんなさい。
- 人それぞれ事情があるし、仕方ないよね。
みたいな感じで、「自分が感じたこと」に対して反射的に目をつぶってしまうというか、「ものわかりのいい自分」として感情処理してしまうことって、実はけっこうあるんです。
でもこの置き換えワークでやろうとしてるのって、決して相手に対して上から目線で評価を下すようなことではなく、あくまで「対象に対して自分が何を感じているのか?」その象徴化なんですね。
合わないと感じる人であれば、まずは遠慮なくその違和感の正体を明らかにする必要があるんです♡
なぜなら「違和感」は、「自分本来の場とのズレ」を示す明確なスピリチュアルサインだから。
自分の「らしさ」がそこで「嫌だー!」って主張しているポイントなんですね(笑)
つまり、その対極に自分の「らしさ(コンセプト)」が隠れている可能性大だということ!
相手の態度や言動に「イラッ」「モヤッ」を感じたまさにその時、そこに自分は何を見ていたのか?
普段だったら、「気にしないようにしなくちゃ…」と懸命に意識を逸らそうとしてしまう場面かもしれないのですが、そこをあえて徹底分析しちゃうんです。
もちろんじっくりノートワークで見ていくのもおすすめですが、自分のネガティブ感情を直視することに苦しさや苦手感のある人は、ぜひ象徴化を使ってみてください♡
その時の相手やシチュエーションを他のイメージへと置き換え(象徴化)してみるんですね。
- 「こういう時の部長って、なんか◯◯ショップみたいで嫌なんだよなー」とか。
- 「あの子のこういうところ、◯◯飲料みたいで好きになれない」とか。
ちなみにこれは、「人に言ってもきっと伝わらないだろうな…」と思うような内容で全然大丈夫です!(笑)
そうやって手加減なしで対象への「違和感」を象徴化していくと、「あ、私、要はこういう感じが嫌なんだな」っていう自分の不快ポイントが明確になると同時に、「私はこういう感じにすごく心地よさを感じていて、だからこれを大切にしたいんだな」という自分のコンセプト(自分本来の場)がどんどんとクリアになってくるんですね。
もしかするそのコンセプトは、即座に言語化するのは少し難しいような内容のものかもしれません。
というのも、言語によって非言語情報である「象徴」をすべて表現するのって、そもそも無理なことだから。
言葉はあくまでラベルであり、非言語情報(イメージや感覚)を想起させるための単なるツールに過ぎません。
なのでもし自分の「場」をあえて言語化するとしても、それは自分にだけわかる表現でいいんです♡
意識の「場」が変わると、相手との関係性は新しい「場」に即して最適化される
自分のコンセプト(本当に望む在り方)がわかってしまえば、もうここからはシンプル!
そのコンセプトに従って自分の世界を創ると決めるだけ♡
これまで無意識に却下してしまっていた自分のコンセプトを自分の世界の中心に持ってくるんです。
言い換えるなら、場に自分を合わせるのではなく、自分の場の中ですべてを選んでいくということ。
この立ち位置を取ることにより、波長が合わない人との「距離感」や「役割分担」が、新しい場に即した形に最適化されることになります。
「場(抽象)」が変わったことで「現実の人間関係(具体)」の変化がまるで後を追うように巻き起こってくるんですね。
合わない人との関係性や距離感の再設定に難しさを感じた時は「肩書き」を外してみる

私も合わない人との人間関係変えたいな…
…けど、私の場合でもうまくいくのかな(汗)
いざ職場の合わない先輩を前にすると、どうしても調子が狂うっていうか、なぜか自分らしく振る舞えないんだよね…
ええ、めっちゃわかります(笑)
私自身もここ、けっこう苦労したポイントだったのですが、解決策は実は単純で、「肩書きという役割で無意識に関係性を縛ってしまっている」こと、つまり「他者が設定した役割観の支配下に思っきり入ってしまっている自分」に気づくことなんです。
あ、もちろんこれは「上司だろうと先輩だろうと、言いたいことは遠慮なくバンバン言っちゃえ!」という意味ではなく(笑)、「肩書をとっぱらった単なる人間として相手を見た時、自分は相手とどういう距離感や関係性でいたいのか?」ということ♡
要は、「他者が作った役割」という場の支配下に入らなくていいよってことなんですね。
わかりやすく言うと、
◯◯してあげなくちゃ。
◯◯な自分として対応しないと。
という「反応としての行動選択」をしてしまった時、「それって本当に自分の望む出方だったかな?」と気づくことで、無意識に自分にくっつけてしまっていた「望まない役割」から抜け出すことができるんです。


「あれ?もしかして今私、自分本来の場(自分のコンセプト)からズレてない?」という要チェックポイントなんですね。
ちなみにこの時、望まない場(世界観)を採用したまま「◯◯したくありません」というアウトプットを相手に返すと、不思議なくらいそこで摩擦が生まれやすいのですが、一方、自分本来の場に自分がいると、そもそも「◯◯な自分」として出なくなるので、自分はもちろん相手もその行動選択をこちらに期待しなくなります。
それにたとえ万一相手から望まない期待されたとしても、ごく自然にサラッとお断りできる自分にちゃんとなってるんですね♡
まとめ
私たちにはそれぞれ、そこに立ち位置を戻すことで周囲と調和しつつ伸び伸び心地よく振る舞うことのできる「本来の場(自分が本当に望む世界観)」があります。
その一方で、
- 自分本来の「場(世界観)」を見失ってしまう。
- そもそも自分の「らしさ」というものがよくわかっていない。
こうした状態にある時、波長が合わない人やモノに対するストレスを強く感じる(それらの重要度が自分の中で極端に高くなってしまう)というスピリチュアルな構造が私たちが日常出くわす「悩み」の裏側で働いています。
多くの人が合わない人や職場との関係性に疲れや消耗を感じているのは、知らず識らずの内に誰かに自分の「場」を支配させて(誰かの世界観の中で生きて)しまっているから。
- 自分はこれまでどんな「場」に立ちながら周囲と関係性を築いていたのか?
- 本当に大事にしたい「自分の世界のコンセプト」って、何なのか?
ここに気づくと、それまでストレスでしかなかった「波長が合わない人」の存在が、自分の中でみるみる小さくなり始めます♡
「何を言うか?」「何をするか?」といった具体の対応策にいちいち頭を悩ませなくても、
- 相手との適切な距離感や関係性がわかり、自然とうまく付き合えるようになる。
- お互いが本来の立ち位置に戻ることで、物理的にも精神的にも離れる展開が訪れる。
といったことが簡単に起こせるようになるんですね。
「相手」ではなく「場(世界)」にアプローチする視点を持つと、それまで複雑怪奇に見えていた人間関係の問題は一気にシンプル化していきます。
ぜひこの爽快感を味わってみてくださいね!
では♡