- 毎日毎日頑張ってやっと難題をクリアしたかと思えばまたすぐ次の難題で、無限ループに思えてきた。もう頑張るの疲れたな…
- 同じ職場のあの人、いつも手抜きで楽ばかり。それに引き換え、どうして私はこんなにプレッシャーまみれで頑張り続けてるの?評価はされるけど報われてる気はしないし…なんかずるい!
- 頑張れば頑張るほど、どんどん大変さがレベルアップしてきてる気がする。もういい加減無理…これ以上頑張れない。
努力家でしかもそれなりに周囲から評価されてきた人ほど、ある時「あれ?頑張ってる割に私、全然幸せじゃなくない?」とふと気づいて「もう頑張れない」「いい加減、もう頑張るの疲れたな…」と思うことって多いのではないかな?と思います。
「なんとか残り少ない意志力で毎日しのいでいるけど、一体これ、いつまで続くんだろう?」
「こんなに頑張ることの繰り返しの人生って、辛すぎない?」
そんな時だいたい出てくるアドバイスも決まってて、「とりあえず休んで」「そんなに頑張らなくていいんだよ」という、とても優しいのだけれど、あまり根本的な解決につながらない言葉だったり。
- それが簡単にできるくらいなら、もう頑張れないと思うまで頑張ってないんだよー!
- 休んだところで何も解決しないし…しかも休んだらその埋め合わせをするのも結局自分な訳で
少なくとも過去の私は「休んで」「頑張らなくていい」という言葉だけでは、そのときの状況を変えることってできなかったんですよね。
結局どんなに自分がもう頑張れないって思っても頑張らなきゃいけない状況が止まらないっていうのが、一番辛かったし恐怖だった訳です。
今回は、そんな過去の私と同じような悩みでグルグルしている人に向けて、もう頑張れないと思った時「もう頑張らなくていい状況」を作り出す方法についてお話していきますね!
頑張るのにもう疲れた!いい加減この無限ループが辛すぎて今度こそ本気で抜け出したい!と思っている人は、ぜひ参考にしてみてくださいね。
- もう頑張れないと思った時「本当に見抜くべき所」とは?
- 「もう頑張れない」「もう頑張るの疲れた」に蓋をして頑張り続けても現状打破できない理由とは?
- もう頑張れないと思った時に「もう頑張らなくていい状況」を作り出す方法
- 「目に見える部分」が変わっても「見えない役割」が変わらないと「頑張らないといけない状況」は止まらない
- 「もう頑張れない」「もう頑張るの疲れた」と心が反応するのは「本来の役割」と違うことをしているから
- どんな時に「もう頑張るの疲れたな…」と感じるのか?お決まりの日常パターンから今の役割をあぶり出す
- 自分が「疲れる頑張り」をするほどに「もっと頑張らないといけない状況」が出来上がっていくカラクリ
- 「頑張る自分をやめるのが怖い!」という感情が出てきた時の対処法
- 「もう頑張れない、助けて」という心の声は、誰かの仕事を自分の仕事だと思い込んでいる時に多発する
- 人生脚本の上手な書き換え方 「疲れる頑張りをやめること」が最大の他者貢献になる!?
- 「疲れる頑張り」をやめればやめるほど「場」のパフォーマンスは上がっていく
- まとめ 「もう頑張れない」と「頑張っていないのになぜかうまくいく」を分けるものとは?
もう頑張れないと思った時「本当に見抜くべき所」とは?
まず最初に結論を言ってしまうと…
もしあなたが「もう頑張れない!」と思うほど「気付くといつもなぜか頑張り続けるループにはまりこんでいる」のだとしたら、それは無意識に「望まない肩書」を自分にくっつけてしまっているから。
たとえどんなに不可抗力でこうなったんだ!と思ったとしても、実はそうじゃないんです。
これってもちろん「全部あなたのせいだ!だって好きで頑張ってるんでしょ?」と言いたいのではなく、本当は全て自分に選択権があるから、自分にくっつけている肩書もドラマもいくらでも書き換えられるし、頑張り続けるループからも望めばちゃんと抜け出せるよ!ということ♡
「それならなんで私は、こんなに疲れ切るまで頑張る人生を過ごし続けているの?全然望んでないのに!もうこれって逃れられない運命なんじゃないかっていう気すらしているんだけど…」
やさぐれまくっていた当時の私は、書き換えられるなんて聞いてもにわかには信じられなくて、即座にこう思っていました(笑)
これ、どうして望んでもないのに「頑張っても頑張っても終わりが見えない、疲弊感いっぱいの人生」を選び続けてしまうのかと言うと、それはズバリ、無意識にそのパターンを選んでしまっているからなんです。
頑張りたくないのになぜか頑張る人生を選んでしまう理由は「無意識のパターン選択」
この無意識の選択の厄介なところって、自分でも気づかないうちにそのパターンを選んでしまっているので、選んでいる自覚もないし、どうやってそのパターンを変えればいいか?見当すらつかないところ。
じゃあどうすればいいかと言うと、答えは簡単で、自分が選んでいるパターンを意識化してしまえばいいんです♡
ここで言うパターンとは、「自分は周囲の人たちとどういう人生ドラマを繰り広げているのか?」その内容にあたる部分のこと。
言い換えるなら、自分と相手それぞれの配役を見破ってしまうってことです♡
私たちって、本当に「無意識に」なのですが、それぞれ何かしらの肩書や役割を担って常に行動選択をしています。
ここで言う肩書とは、名刺などに書かれている「目に見える肩書」のことではなく、「場」における「目に見えない役割」(セルフイメージ)のこと。
そして恐ろしいことに、会社内で部長は部長として、課長は課長として振る舞うしかないように、私たちはこの「目に見えない役割」に自分の行動選択のほぼすべてを決定させてしまってるんです(!!!)
自分のハンドルを握っているのは自分かと思いきや、本当の運転者は、知らず識らずの内に担っていた「目には見えない役割」の方だったということ。
例えば、
- 一度周囲からいい人認定されてしまうと、まるで催眠術にでもかけられたかのように「いい人」の振る舞いしかできなくなってしまう。
- 「あの子はしっかりしてるから大丈夫」と言われている内に、「しっかりしてない私はダメ!いつもしっかりしてなきゃ!」という謎の義務感を感じるようになる。
- 一度「できる人」と上司や先輩に認識されてしまうと、その期待を裏切りたくなくて、とにかくできる人として振る舞わなくてはと必死に頑張り続けてしまう。
こういった「自分に貼られたラベル」による行動への縛りって、きっと誰しも心当たりがあるのではないでしょうか?
これって身近な誰かから言われた言葉に限らず、ドラマや漫画などで「友達とはこう振る舞うもの」「仕事とはこう取り組むもの」という定義づけを繰り返し刷り込まれることで、いつの間にかそれが自分自身の定義となり、自分の人生脚本(自分の世界の配役とストーリー)を決定づけていたりもします。
- 友達だから、(本当はやりたくないけど)○○してあげなくちゃ。
- 仕事なんだから、(どんなに大変でも)○○には必ず対応しないと。
こんな風に何かしらの定義づけによって、自分の意志とは裏腹の行動を自ら進んで取ってしまう(頑張りたくないのに「頑張る役割」を自ら受け入れてしまう)状況が人生の中に頻発するようになるんです。
「もう頑張れないと思っても、頑張らないといけない状況が止まらない」の裏側で起こっていること
ちなみにこうした「定義」や「役割」って、自分が無意識にそれを受け入れていると、実は周囲の人たちもあなたに対して「その定義づけによる行動」や「役割」を期待する姿勢を無意識に取るようになります。
これが「見えない役割」の面白い所であり、ちょっと厄介な所(笑)
そう、つまりはこれが、自分が無意識に設定している人生脚本(配役とストーリー)通りに人生がグイグイと展開していってしまう仕組みなんです。
この「無意識の配役」に気づかない限り、「いくら自分がもう頑張れないと思っても、頑張らないといけない状況が止まらない」って、ある意味当然なんですよね。
もちろん恋愛もその例外ではなく、「男性とはこういうもの」「恋愛とはこういうもの」という無意識レベルの定義づけによって、自分と相手の配役って自動的に決定づけられていたりします。
「なぜかいつも同じパターンで振られる」「なぜかいつも同じような辛い恋愛を繰り返してしまう」などはまさに、この無意識の人生脚本によるもの。
例えば、「相手は選ぶ側、自分は選ばれる側」という配役になっていたとしたら、「自分がめちゃくちゃ頑張らないといけない恋愛パターン」になるのって容易に想像がつきますよね(笑)
「もう!なんで私ばっかりこんなに負担の多い恋愛しないといけないのよー!尽くされてる子だってたくさんいるのに…こんな疲れる恋愛もう嫌!」
そんな脳内トークがいずれどこかでさく裂することになるはずです。
ただ実は…恋愛にしろ仕事にしろ、「もう頑張れない」「もう頑張るの疲れた」トークが脳内でさく裂した時って、「この頑張るループを抜けるタイミング、いよいよ来たよ!」というものすごーく明確な合図でもあるんですよね。
なぜならこれらのトークって「もうこのドラマ飽きた。お腹いっぱい」という脳みそ側からのサインだからです(笑)
「もう頑張れない」「もう頑張るの疲れた」に蓋をして頑張り続けても現状打破できない理由とは?
この時大事なのは、「もう頑張れない」という脳からの訴えに決して蓋をしないこと!
頑張りたくないのについ頑張ってしまう人って、基本的に前向きな人が多いです。
ですが、「もう頑張るの疲れた…」という脳内トークが出てきた時に、「そんな後ろ向きになっていてはダメ!もっと前向きに取り組んでいかないと成長できないよ!」とばかりに、無理にポジティブになろうとしてしまうと、実は状況って、ますます悪化します。
「意図的に見方を変えること」これ自体は、自分の世界の設定を書き換える上でとても大事なスキルなのですが、「もう頑張れない」「このドラマもう嫌、別のドラマにそろそろ移行したい」と脳が明らかにサインを出している時にこれをやってしまうと、実はこれって、自ら現状維持を選んでしまっていることになるからです。
現状維持の落とし穴!「頑張っていればいつか現状打破できる」という錯覚
ここ、けっこう重要なポイントで、人って困難にぶつかると、「頑張ることで現状打破できる」と考えがちな所があります。
とにかく頑張ってさえいれば、いつかご褒美として幸せな未来に行きつけるような気がして、頑張ることで妙な安心感を得てしまう所があるのですが、実際は、「必死に頑張って目の前の問題をどうにかしようとする」ことが、結果的に現状維持につながってしまっていることってすごーく多いんです!
「頑張り続けないといけない世界」「難題だらけの世界」を維持することを、自分でも気づかない内に選択してしまっているということ!
今の自分の頑張りって、一体「どの未来」につながっているのか?
目の前の問題解決に意識をとらわれるあまり、この視点がまるっと抜け落ちてしまっていると、どんなに大量行動を重ねて頑張り続けたとしても、ただただ無意識の内に現状が維持されていくだけなんですよね。
「もう頑張りたくない」という内側の声を押さえつけて、どうにかその場をしのいだとしても、
「あれ?あと少し頑張ればきっと何か変わるはず!と思ってやってきたけど、結局いつまで経っても楽になってなくない???人生ってこんなもんなの?本当にもう頑張るの疲れたな…」
といったトークが必ずまた噴き出してくることになります。
だからこそ、今の自分の人生を一度「引き」で見てみる必要があるんです♡
その頑張りはどの未来に行くためのもの?
目の前の問題に懸命に取り組んでいる時、人は必ずと言っていいほど近視眼的になっています。
とにかく「今やっている仕事」に集中しなくてはならないからです。
もちろんこれ自体は決して間違ったことではないのですが、この「寄り」の視点のみだと、「壊れかけている現状を必死で修繕・修復し続けている自分」という「舞台背景」と「自分の役どころ」に自分自身が飲み込まれてしまうことになります。
人生を「引き」で見た時、「日々起こる問題に必死で取り組むこと」というのは、皮肉なことに「必死で現状を維持すること」とほぼイコールであることが実はほとんど!
つまり俯瞰してみることで初めて、努力の先にある未来(行き先)がまったくの未設定だったことに気づけるんです。
一見「どこか特定の目的地を目指して頑張っている」ようでいて、実は「いつか努力が報われて、今より状況が良くなってくれたらいいなあ」という単なる期待だったことがわかっちゃうんですね。
「あれ?もしかして私って…ものすごく頑張っていた割に、実際はただ成り行き任せにしてただけってこと!?」
ここに気づけたら、いよいよ出口は近いです!(私はこれに気づいた時、あっけに取られて完全にフリーズ状態になりました・笑)
そこですかさず、以下の問いを立ててみるんです♡
- じゃあ、本当はどこへ行きたい?
- 本当の本当は、どういうドラマがいい?
問題解決することから一度意識を離して、「単純にどうなりたいのか?」を考えてみるんです。
そしてこの時すごく大事なポイントがあって、それは、今の役のまま欲しい未来を考えようとしないこと!
今あなたがやっている「役」が変わらない限り、一見何かが変わったように見えたとしても、それは現状維持(同じパターン)の未来にすぎないからです。
もう頑張れないと思った時に「もう頑張らなくていい状況」を作り出す方法
例えば「仕事で今よりいいポジションに就いて収入もアップしている未来」を思い描いたとして、その世界の中で自分が担っている「見えない役割」が変わっていない場合、それって「現状打破した未来」ではなく、単に「現状維持がとてもうまくいった未来」なんです。
「目に見える部分」が変わっても「見えない役割」が変わらないと「頑張らないといけない状況」は止まらない
名刺に書かれている肩書やお給料の額といった「目に見える部分」がどれだけ変化したとしても、自分自身が周囲との関わりの中で同じ「役割」を選択し続ける限り、心身にかかる負担や人生への満足度って、実はどこまで行ってもさほど変化ってなかったりします。
結局は相手や場所、仕事内容を変えて同じパターンを繰り返しているだけなので、当然と言えば当然ですよね(笑)
つまり「疲れる今の人生脚本」から抜けて「頑張らなくていい世界」を自分の周囲に意図的に作り出すためには、転職や昇進、結婚や離婚といった具体的な目標設定の前にまず、「その世界の中でどういう役割を新たに担当するのか?」そこを決めることが大切だということ!
ここが決まってないと、いくらもっといい場所、もっといいパートナーをと職場や友人・恋人を変えたとしても、「あれ?また同じことで悩んだり頑張ったりしてる…結局私って、こういう運命なの?」ということになります。
とはいえ、いきなり「新たにどういう役割をするか?」と言われても、漠然としすぎてて面食らっちゃいますよね。
それもそのはずで、ほとんどの人は基本的に「場」における自分の役割をリアクションで決めてきてしまっているからです。
「もう頑張れない」「もう頑張るの疲れた」と心が反応するのは「本来の役割」と違うことをしているから
周囲や相手の雰囲気から「なんか私、これ求められてる?」「あ、これって私がやるべきことなのかな?」と無意識に察したり、また身の回りで起こる問題に日々対処し続けている内に、知らず識らず自分の役回りや立ち位置を「こういうもの」と決めてしまってるんですね。
これ、一言で言うと、他者の要求や目の前の問題に自分自身を最適化させてきた結果なんです。
「場」の設定を決めるのは他者であり、自分はその設定に無意識に従ってしまっているという状態。
そして、なぜ現状(今採用している「場」)に対して「もう頑張れない」「もう頑張るの疲れた」と心が激しく反応しているのかと言えば、それは自分の力の発揮しどころが間違っているからなんです!
「本来あなたの役割ではないこと」に力を注いでしまっているから、頑張ることに対して爽快感ではなく疲労感の方を強く感じてしまっているということ。
どんな時に「もう頑張るの疲れたな…」と感じるのか?お決まりの日常パターンから今の役割をあぶり出す
ということは、
どんな時に「もう頑張れない」「もう頑張るの疲れた」といったトークが出てくるのか?
↑ここをしっかり意識化することで、「今の自分の役回り」を認識できるということなんです。
これ、何も特別大きな事柄である必要は全然なくて、「こんなことで疲れたなんて思う自分は器が小さいよな…」とか「これを嫌って思うのは、さすがにわがままだよね」って思うようなところにこそ「無意識に担っている役割」が隠れていたりします。
例えば、
- コピー機のトナー替えるのって、なんかいつも私ばかりじゃない?切れても替えない人って何なの!?こういうの地味にイラつく。
- 質問ばかりの後輩がうざい!ちょっとは自分で考えて判断してよー!
- 忘れっぽい上司がムカつく!トラブルがあった時フォローするのはこっちだし、いちいちリマインドするのも疲れるし、もう嫌。
- 上司の指示がいつも雑すぎ!信頼してくれてるのはわかるけど、とりあえず私に投げておけばなんとかなるって思ってない?
- 彼とのデート場所、彼の職場や家から出やすいところで待ち合わせるのがいつの間にか当然になっちゃってる。私側の負担なんてどうでもいいのかな?私より自分の都合優先なのが悲しくなる。
こういった、ごく日常的で些細なことなのだけれど、「私って、こういう時にどっと疲れる気持ちになるんだな」というお決まりのパターンをどんどん挙げてみるんです。
そしてそれらのNG事項を並べてザーッと俯瞰してみると…
- あ、私、秘書的だったりお母さん的だったり、気の利くサポート役を無意識にしてしまっている時、強烈にストレスを感じるんだな。
- 手取り足取り人の面倒をみたり世話を焼くのがしんどいんだな。
- 「遠慮なく甘えられる相手」と思われるのがNGポイントだったんだ!
といったことがパッと見えてきたりするんですね(上記はあくまで例ですよ!)
こんな風に、日常に現れる具体的なNGパターンを洗い出してそれを抽象化してみることで、今自分が無意識にやってしまっている「望まない役割」が明らかになってきます。
自分が「疲れる頑張り」をするほどに「もっと頑張らないといけない状況」が出来上がっていくカラクリ
ここを意識化できるかできないかの違いって本当に大きくて、「なぜかわからないけど、気づくといつもこうなってしまっている…どうして?(涙)」という、これまでの人生で嫌というほど繰り返してきた疑問の答えが、そこですべてわかってしまうんです。
当たり前ですが、自分が「気の利くサポート役」「面倒をみてくれるお母さん役」「遠慮なく甘えられる存在」をやっていたら、周りの人たちって、どんどんと「その自分」に最適化されたキャラクターとして登場してくるようになります。
「え!私が彼らをそうさせてたってこと!?でも元はと言えば、そういう役回りを先に私に期待してきたのは向こうの方なんだけど…最初からそういう人たちだったんだよ!」
そう思ってしまう気持ちはすごーくよくわかりますし、おそらくその通りです(笑)
ですがこれって鶏が先か卵が先かみたいな話で、そういう自分だからその人たちと引き合ったとも言えるし、要は自分の在り方とその自分を取り巻く環境(世界)って、パズルのピースみたいにパチリと噛み合うようにできてるんだよ!ってことなんです。
そして、もしも今の疲れる人生脚本を本気で抜けたいと思うなら、やることはシンプル!
- その「望まない役」を降りると決めること。
- 「新たな役割」を見出すこと。
この2つを自分の中で明確にできさえすれば、人生脚本っていかようにも書き換えられるんです。
いつものNGパターンが再び出てきた時でも「あ、私、またあの役をやっちゃってる!」と気づくことさえできれば、もう人生のハンドルを握っているのは「役割」ではなく「あなた自身」なんです♡
ただしここにはある通過儀礼があって、それは「怖いな」「申し訳ないな」という感情が必ず出てくること。
「頑張る自分をやめるのが怖い!」という感情が出てきた時の対処法
それまで当たり前にやっていた役割を降りる訳なので、「相手はどう思うだろう?」「私がこれをやらなくなったら、この場がめちゃくちゃになってしまうのでは?」という気持ちは当然出てきます。
コンフォートゾーン(それまで採用してきた世界観・今の自分の当たり前)を移動する際にそういった怖さや抵抗感が出てくるのはあくまで脳の仕様だとまずは踏まえた上で、それでもそこでストップをかけることなく人生ドラマを着実に移行するコツがあるので、お伝えしておきますね!
それは、「自分がこの役を降りることで、みんながもっと幸せにになれるのだとしたら?」という視点を持ってみること♡
もっとストレートな言い方をするなら、「この辛い頑張りをやめることで、周囲の人たちに貢献できることって何だろう?」という視点で今の「場」を俯瞰してみるんです。
これ、一見「はぁぁ!?」と思うかもなんですが、人生脚本の上手な書き手となる上で、超超超!重要ポイントなんです。
どういうことかと言うと、前述したように、
- そもそも「もう頑張れない」「もう頑張るの疲れた」というトークが出てくるのは「自分本来の役割」ではないことを無意識にやってしまっているから。
- その「ズレた役割」を自分がやり続けることで、周囲が「その自分」に一層最適化されてくる(どんどん大変さがレベルアップしてくる)
こうした裏構造によって、「頑張っても頑張っても終わりが見えない、疲弊感いっぱいの人生」って成り立っている訳ですが、ということは…
自分が「本来の役割」ではないことをやってしまっている時、他の人たちの役割も本来のものからは大きくかけ離れてしまっている状態ということなんです!
人間関係はパズルのピースなので、自分の在り方と相手の在り方って、良くも悪くも必ずカチリと噛み合うようになっています。
つまり自分がズレた状態にある時、相手も同様にズレた状態にあるということ。
なので自分の役柄を変える際は、「場」という単位でズレを修正する視点(俯瞰視点)を持つことが大前提であり、ひいてはそれが移行の抵抗感を下げるコツだよ!ってことなんです♡
「もう頑張れない、助けて」という心の声は、誰かの仕事を自分の仕事だと思い込んでいる時に多発する
たとえば、「気の利くサポート役」を降りたいと思った時、
- でもこれだと、私は「気の利かないダメ社員」になってしまうのでは?
- 今でさえ毎日トラブルだらけなのに、私があちこちフォローするのをやめてしまったら、大変なことになるのでは?
おそらくそんなトークが出てくるはずです。
今までは自分が気を利かせて細かくフォローして回ることで必死にその「場」を維持してきた訳なので、当然と言えば当然のトークですよね。
しかしここで「やっぱり気の利くサポート役を続けるしかないか…」という選択をすることは、「この現状を維持するために、私はこれからも身を削って頑張り続けます!」という決意に他なりません(笑)
そしておそらくそれは、本当の望みとは程遠い選択のはず。
なのでここで、ぐーっと「引き」の視点にチェンジしてみるんです。
改めて現状を俯瞰してみると、一体どういうことが見えてくるのか?
まず今までその役割をやり続けてきたことで「もう頑張れない、誰か助けて」というトークが自分の中にあるのだとしたら、それは「誰か他の人の仕事をあなたがやってしまっている」状態だということなんですよね。
もっと言うなら、「無意識に誰かのお役目を奪ってしまっている」状態。
自分の領分を超えて何かをやってあげすぎることで、相手の領域に入り込みすぎているというサインなんです。
自分の領域やキャパシティを超えたことを日常的にやっている訳なので、「もう頑張れない、助けて」というトークが出てくるのは当然のこと。
そしてそもそもなぜそういう状態になってしまうのかと言えば、それは無意識に相手を「できない人」「ダメな人」「弱い人」「かわいそうな人」として見て(設定して)しまっているから。
自分の人生脚本において周囲がそういう人だらけだったら、それはもう自分が「頑張る役割」をするしかなくなりますよね(笑)
そしてこの時、すべての登場人物が「本来の状態」から外れてしまっている訳です。
意外かもしれないのですが、あなたから見て「あの人はいつも楽ばっかでいいよね!もう!(怒)」と思える人がいたとして、さらにその人自身も「楽できてラッキー!」と日常的に思ったり言ったりしていたとしても、本当の本当は本人も「できない自分」「ダメな自分」「弱い自分」でなんていたくないし、そう扱われることにどこか違和感や劣等感、疎外感を感じたりしています。
そうした本音がどこかにあるから、自分を「ダメな人」と見てあれこれお世話してくれる人に対して、どれだけ表面上は感謝を表していたとしても、心の奥底ではどこか反発するような気持ちがあったりするんですね。
これって、仕事に限らず恋愛でも同じことが言えて、
- 決して彼氏にわがままを言ったりせず、頑張って尽くしてきたのに、「ありがとう」「助かってるよ」という言葉をもらえるだけであとは全然大事にされず、最終的にいつも振られてしまう。
- しかもその後付き合った彼女とすぐに彼が結婚してしまうというおまけ付き。
といった恋愛パターンを繰り返してしまう人などは、実はこうした構造がその裏側にあったりします。
人生脚本の上手な書き換え方 「疲れる頑張りをやめること」が最大の他者貢献になる!?
じゃあどうすればいいの?ってことなんですけど、解決策はシンプルで、相手に本来のお役目を返してあげるんです。
言い換えるなら、
- 相手が活躍できる場所を作ってあげる。
- 彼をヒーローにしてあげる。
ということ♡
自分が現在の役を降りたいと思った時、「もうこんな疲れる役割やらない!代わりに誰かに押し付けてやるー!」というトーク状態でそこを降りようとしてしまうと、実はこれってうまくいきません。
そうではなく、
- 今やっているこの仕事、私の役目じゃないのだとしたら、本当は誰の役目なんだろう?
- その役目をやることでその人がもっとなりたい自分になれるのだとしたら、それって「誰がどうなること」なんだろう?
その視点から周囲を見渡してみるんですね。
すると、「ああ、確かに私がこれをやめることで、もっと周囲をステージアップさせることができちゃうな!」っていうビジョンが見えてくるんです。
ここが見えると、自分の内側にあった「変化への抵抗感」がぐーんと下がって、「役を変えなくちゃ!」「人生脚本を書き換えなくちゃ!」といったどこか肩に力の入ったスタンスから、「うん、こうすることが一番いいよね♡」と自分の決意に許可を下ろせたトーク状態となるんですね。
ちょっとわかりにくいかもなので、「気の利くサポート役」「面倒を見てくれるお母さん役」を自分が降りることで、どういう変化が周囲に起きるのか?という例で考えてみると…
例えば上司や後輩の面倒を逐一見るのをやめて、ある程度の距離感を持って接するスタンスを新たに取り始めると、まず相手は「もう子供扱いしてもらえないんだ」と非言語で感じ取るようになります。
すると短期的には「なんだよ、こないだまではもっと親切にやってくれてたのに!」とか「なんか最近冷たいなー」といった不満の感情を持つかもしれませんが、「子供扱いしない接し方」をされることによって、結果的に相手は「大人」に変身することがおそらくできるんですよね。
また別角度から考えてみると、「手取り足取り世話を焼くのが好き」「直接ありがとうと言われるような仕事にやりがいを感じる」誰かが、新たに「気の利くサポート役」や「みんなのお母さん役」として活躍できるようになる展開ももちろんあり得ます。
こういった想定をあれこれと繰り返しながら、「どういった役柄や配置がそれぞれにとって一番しっくりくるのか?」を徐々に見出していくんです。
- 相手の力を引き出すこと。
- 相手が活躍できる土壌を作ってあげること。
これらの視点を持つことで、自分がこれまで抱えてきた余計な重荷や頑張りを遠慮なく手放していくことができるようになるんですね。
ポイントは、相手を「成長できる人」「成長したい人」として見ること♡
「今の相手」だけにフォーカスしていると、この見えない配置換えがとても困難なものに思えるし、必ず遠慮が出てきます。
「現在の相手」という「点」の視点から相手を見るのではなく、「線」の視点で相手を見ていくんです。
その人の「進化した未来の姿」を、まずはあなたが設定してしまうこと。
「え!なんかそれって、すごくおこがましくない?」と一瞬思うかもしれないのですが、実はこれこそが、私たちが人間関係を通じて他者にもたらすことのできる最大級の貢献なんです。
「疲れる頑張り」をやめればやめるほど「場」のパフォーマンスは上がっていく
これって、そもそも私たちがどうして「望まない肩書」を自分にくっつけてしまったのか?「望まない定義」を自分の中に取り入れてしまったのか?そこを思い出してもらえるとわかるのですが、
- 過去に誰かからたまたま「そういう人として」扱われた。
- 過去に誰かから「それをやるのが当然だから」「普通はこうするものだから」と聞かされた。
そうした「人との関わり」によって他者の世界観に巻き込まれたことがその発端なんですよね。
そして、その世界観をそのまんま自分の人生脚本に引っ張ってきてしまった結果が現状だということ。
もちろん、その望まない肩書や定義を刷り込んできた人の方も、特別悪意があったり、「こいつを不幸にしてやろう!」と思ってそうした訳ではなく、その人自身が自分の世界観にまったく疑いを持っていないからこそ、無意識に他者を自分の世界に巻き込んでしまってるんですよね。
つまり巻き込んでいる側も巻き込まれている側も、双方が無意識の内に望まない世界観を共有してしまっている訳です。
これが、多くの人がズレた人生脚本を展開していることに気づかず、お互いに疲弊したり自信喪失し合ったりしている根本原因。
そしてそれが無意識に繰り広げられているドラマである限り、当人が本当に疲れ切って限界を迎えるまで、基本的に終わりって来ません。
けれど、その「無意識のドラマ」と「ズレた配役」に気づいて新しい人生脚本を構築できる人が身近にいるのだとしたら、それって巻き込まれる側の人にとっては、「望まないドラマ」「望まない配役」から自分を引っ張り出してくれるとても大切な存在となるんですよね。
一般的なものの見方だと、
- 相手に親切にしてあげること
- 気を利かせてしっかりフォローしてあげること
- 懇切丁寧に教えてあげること
そういった働きこそが相手に対する貢献だと捉えられがちで、特に「もう頑張れない」と思うまで頑張ってしまう他者貢献意識の高い人は、そのような定義が知らず識らず強く染み付いていたりします。
けれど俯瞰してみると、実はこれらのことって、ほとんどの場合「点」の貢献なんですよね。
その瞬間は相手も助かるし、感謝もしてくれるかもしれませんが、相手の在り方や人生脚本に対してどういう影響を及ぼせるのか?という意味では、「抜群に貢献度の高いこと」とは必ずしも言えないんです。
そしてそれは、相手自身も無意識レベルではわかっていることなんですよね。
「点」の貢献のみを見ていると、必ずお互いの役割ってズレ出します。
ただここで誤解してほしくないのは、相手に直接何かしてあげるのがダメとか、彼氏に尽くすのはNGと言っている訳ではなくて、もしあなたが誰かや何かに一生懸命力を尽くして貢献することで、「もう頑張れない、助けて」「もう頑張るの疲れた」という苦痛トークが出てきているのだとしたら、それは貢献のしどころ・力の発揮しどころが違うよ!もっといい別のアプローチがあるサインだよ!ってことなんです♡
こうした俯瞰視点がないまま、思い込みの役割によって無理に「場」に貢献しようとし続けると、皮肉なことに「場」のパフォーマンスってズルズルと下がっていきます。
そうなるとついつい「頑張ってるのにどうしてうまくいかないんだろう?私の努力が足りないせい?それともあの人が努力していないせい?」というギスギスした視点に陥り始めます。
けれど、そこで「場を俯瞰する目」「点ではなく線で見る目」へと意図的に切り替えることで、自分だけではなく周囲をも巻き込んで人生脚本を書き直せる人となれるんだよ!ってことなんです。
この視点を手に入れると、「手を下さないほどに、なぜか感謝や尊敬をされてしまう」「自分が無理な我慢や頑張りをやめるほどに、職場の業績が上がってしまう」という、一見すると矛盾とも思えるようなうれしいミラクルが当たり前に起こるようになってきます。
まとめ 「もう頑張れない」と「頑張っていないのになぜかうまくいく」を分けるものとは?
自分が苦労する一方で「なぜかうまくいっている人」を目の当たりにした時、「あの人はいいなー!それに比べて私は…」なんて悲しい気持ちになったことのある人も多いかもしれません(私はしょっちゅうなってましたよー!笑)
けれどその差って、本当に紙一重なんです。
自分の「本当の役割」が見えているかいないか?それだけ。
今までずっと試行錯誤を繰り返して、折れそうな気持ちを何度も立て直して、それでもやはり「もう頑張れない」「もう頑張るの疲れた」というトークが打ち消せなくなっていることに、ついに気づいてしまった(泣)
これって一見挫折や絶望のようでいて実はものすごいことで、そんな今この現状の設定に限界を感じた人だからこそ、できるお役目ってあるんです♡
- それぞれの本当の役割(活躍ポイント)を見抜く。
- 周囲の人たちの「進化した未来の姿」を設定する。
- 見えない配置換えをする。
- 今いる場所で展開されているドラマを書き換える。
私がこの人生脚本を書き換える側の視点に立ったばかりの頃、「私、何様よー!影のCEO気取り?(笑)」なんてトークが何度も出てきて、それこそ変化にストップをかけそうになったりもしたのですが、最初は本当に小さく小さく実験を繰り返していって、
- あ、やっぱりこうした方がうまくいくんだ!
- あれ?前より全然頑張ってないのに、仕事も人間関係も格段にスムーズになってきてる…!
- あんなに手がかかりまくっていた上司や後輩が、こんなに進化してるー!!!
- やばい、彼が追うようになってきた…♡
そうした結果を一つ一つ受け取っては検証していく内に、気づけば恐怖も消え、どんどんと無理な頑張りを手放していけるようになったんです。
私にとって本当にこの時の経験は大きくて、「自分の設定次第で相手も世界も本当に変えられるんだ!」という確信とそのコツをつかんでいった怒涛の練習期間でもあります。
私が実践が大事だよ!といつも書いているのも、結局は自分の日常で実験と検証を繰り返すことが、人生脚本の見抜き方、そして書き換え方を身につける一番の早道だからなんですよね。
過去の私と同じような頑張りループにはまって悩んでいる誰かに今回の内容が届いて、望まないドラマを抜け出すきっかけになればうれしいです。
では♡